せっせとアルバイトして19歳で手に入れたマイカーは、即実戦可のフルラリー仕様、マツダ ファミリア フルタイム4WD(型式:BFMR)の中古車両でした(平成2年 京都工芸繊維大学体育会自動車部 旧部室前にて)。
6点式のロールケージが組まれたボディは各部当て板など溶接されたフル補強。
フルタイム4WDターボの戦闘力に期待が膨らみましたが、思ったほどの加速が得られません。
運転のことも整備のこともほとんど知らない頃でしたから、トランスミッションやターボチャージャーの不調を感じつつも、ろくに整備もせずアクセルはいつも全開。
セカンドギア、サードギアに入れる度、激しくギア鳴りするようになったトランスミッション。
ターボ過給するとマフラーから噴き出す大量の白煙。
気にせず全開走行した結果、エンジンオイルが無くなり(油圧警告が故障していました)メタルブローしてエンジンもトランスミッションもダメにしてしまいました。
高額な修理費用が必要だったことと、当時ギャランVR4(E38A)などハイパワー車と同クラス(Cクラス)で参戦していましたが、運転技術が未熟でよい結果が残せず、クラス変更(Bクラス)することを決めました。
どうしても第一線で戦える状態のよいクルマに乗りたくて、3件アルバイト掛け持ちで手に入れた次の戦闘機は、日産 マーチR(型式:EK10)でした。
当時、マーチスーパーターボというよく似たツインチャージャーのクルマがありましたが、マーチRは別物。
排気量はレギュレーションの過給器係数を掛けても1600cc未満(Bクラス)になるよう930ccにストロークダウンされ、スーパーターボより大きなターボチャージャーとアイドリング回転付近から過給するスーパーチャージャー、5速フルクロスのトランスミッション、740kgの軽量ボディで得るゼロ発進加速は、同じ日産のR32 GT-Rより速かった気がします。
マーチR専用装備が施されたエンジンルームは、快適装備のエアコンを搭載できませんでした。
前輪駆動の軽量ハイパワー車は、フロントノーズがカーブのイン側を捉えて離さず、テールの滑り出しも滑らかで、恐怖を感じていた峠道の下りも意のままに走れました。
勢い余って、未舗装路ではこのような脱輪もしましたが、クルマの挙動を掌握でき、車を操る達成感を得た懐かしいクルマでした(左奥は、救援に来てくれた友人のカルタスAA34S)。
『学生時代の追想(マーチR → ハチロク AE86 GT APEX)』に続く
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